Greeting
いざ、出陣!舞台(ピッチ)は整った!
宮古サッカー協会 会長 宮国 敏弘
宮国会長(前列左端)と小中高校生の優秀選手奨励表彰式
考える力・乗り越える力・自律する力・仲間を慈しみ愛する心。サッカーには全ての教育的要素が凝縮されている。そしてサッカーは、悔しさ・達成感・悲哀・歓喜・協力・自律、人生のすべてを教えてくれる。 『サッカーは人生の縮図だ!』かつての日本代表を率いたオシム監督の言葉が心に響く。
宮古島のサッカーに夢中になる子どもたちの瞳が輝いている。キッズ、ジュニア、中学、高校、女子委員会、それぞれのカテゴリーから沖縄県を代表する多くの逸材が選抜されて大活躍をしている。
これはひとえに宮古島のサッカー界の発展と普及、競技力の向上のために汗を流し踏ん張ってきた多くの先輩方(監督・コーチ・関係者)の努力の賜物である。
1974 年(昭和 49 年)11 月 11 日に産声をあげた「宮古サッカー協会」は 2020 年の今年、創立 46 周年を迎える。1977 年に「沖縄県民体育大会の決勝で逢おう」のスローガンの下、立ち上げた宮古・八重山先島親善サッカー大会も 44 年という交流の歴史を刻み、相互の技術力の向上と友情を育んだ。
1991 年と 2002 年には多くの関係者の尽力により「県民体育大会サッカー競技」を宮古島に招聘し、島の子どもたちがレベルの高い刺激的な技術とプレイに胸をときめかせた。 サッカーの底辺拡大と技術力の向上に心血を注いできた宮古サッカー協会関係者を小躍りさせた歓喜の出来事は、2000 年(平成 12 年)の「宮古高校サッカー部県制覇/全国大会出場」であった。多くの宮古郷友関係者が埼玉のスタジアムに駆けつけ、一体となって熱いエールを送った。宮古島のサッカーの重い扉を開いてくれた、まさしく衝撃的な全国デビューであった。宮古高校サッカー部は、その後 2012 年(平成 24 年)にも2度目の全国大会出場を果たし、県内では強豪校の評価を得る活躍をしている。この島で大事にはぐくまれたサッカー少年は、2005 年に宮古高校の上里一将君が、2009 年には後輩の上里琢文君がプロ契約し、Jリーグに加入した。「小さな島にいても夢を追いかければ実現は不可能ではない。」を実証してみせた。それはまさに「DREAM 夢があるから強くなる」のJFA宣言を南の小さな離島の少年が具現化したことに他ならない。
『 夢を叶えるチカラ 』 2019 年沖縄県民体育大会。宮古代表の男女のサッカーチームは、緑の芝に白線がまぶしく光る決勝のピッチに立った。優勝旗海を渡る!のW優勝を目指して奮闘したが女子は 1-3 のスコア、男子はPK戦で涙を飲み、宮古サッカー協会 45 年目の悲願はお預けとなった。しかし、私たちは決して下を向かない。サッカーの種を撒き芽を育て夢を育んできたサッカー関係者や先人たちの希望の花を預かっているから‥
今後も、宮古サッカー協会役員・会員一同、『人生の縮図』であるサッカー競技を通して未来のより良き社会を築く人材育成に邁進していくことを宣言致します。(2020, 8 月)
Organization
Budget Documents
Financial Statements
Plans
Reports
History
- 昭和49(1974)年7月
- 平良市体育協会より少年サッカー教室開催の要請
- 〃 年11月
- 県民体育大会に参加、これを機に宮古サッカー協会設立
初代会長:平良幸一氏 - 昭和52(1977)年3月
- 第1回先島親善サッカー大会開催(八重山にて)
- 〃 年8月
- 第2回先島親善大会開催(下地中グランドにて)
- 昭和55(1980)年4月
- 2代目会長に、平良忠彦氏就任(理事長兼任)
- 昭和58(1983)年2月
- 宮古クラブ結成【監督:亀浜謙二氏)
- 昭和60(1985)年4月
- 会長代行に、亀浜謙二氏、理事長に垣花直氏就任
- 昭和61(1986)年4月
- 3代目会長に、松川英世氏就任 副会長:下地良夫・宮城正男/理事長:亀浜謙二
- 昭和62(1987)年10月
- 「きらめく太陽、ひろがる友情」をスローガンに、
第42回国民体育大会・海邦国体が開催 - 昭和63(1988)年3月
- 友利聡氏、理事長就任
- 4月
- 粟国和伸氏、副会長就任
- 平成2(1990)年4月
- 美里勝也氏、理事長就任
- 平成3(1991)年4月
- 与那覇晃規氏、理事長就任
- 8月
- 第1回サニツ浜カーニバル少年サッカー大会開催
- 11月
- 県民体育大会サッカー競技、宮古で初開催
宮古0ー1 島尻郡 - 平成4(1992)年2月
- 第1回ポストカップ大会開催
- 12月
- 第1回宮古毎日新聞社杯少年サッカー大会開催
- 平成5(1993)年4月
- 狩俣博幸氏、理事長就任
- 5月
- 15日ーJリーグ開幕
- 5月
- 社会人リーグ(Mリーグ)開幕
- 平成9(1997)年 4月
- 花城喜正氏、理事長就任
- 平成11(1999)年6月
- 県高校総体、宮古高校が準優勝
宮古勢として初の決勝進出
決勝戦(6/2):宮古 0-1 那覇西 - 8月
- 兼島章人(宮古高校3年)が国体県代表に選出
*宮古勢として初 - 平成12(2000)年11月
- 全国高校サッカー選手権大会県予選
決勝:宮古高校2ー1 豊見城南
念願の全国大会出場を決める - 平成13(2001)年1月
- 2日ー第79回全国高校サッカー選手権大会
1回戦:宮古高校1ー1丸岡(福井)
【PK 3-5】 - 8月
- 第22回児童オリンピック少年サッカー大会
(4年生以下)
県大会で、マティダ東FCが優勝 - 平成15(2003)年8月
- 国体九州ブロック予選
県代表として、川満亘、上里一将(ともに宮高)が出場 - 平成16(2004)年11月
- 上里一将、J2のコンサドーレ札幌と仮契約
(翌年、加入) - 12月
- 『離島フェア2004』で、島興し奨励賞を受賞
【受賞理由】 宮古でマイナースポーツだったサッカーの普及のため1989年から各小学校に協会員を派遣してチーム創立と指導に当たった。
現在では小学7、中学4、高校4、社会人10のチーム数に伸ばし、県制覇を小学で2回、高校で1回達成するなど人材育成に取り組み、宮古初のJリーガーを誕生させたことなどが評価 - 平成17(2005)年10月
- 1日-宮古島市誕生
- 平成17(2005)年10月
- 上里琢文(宮高1年)、兵庫国体に県代表として出場
県勢の初優勝に貢献(千葉との両県優勝) - 平成19(2007)年4月
- 宮古高校女子サッカー部創設
- 平成20(2008)年1月
- 県高校新人大会で宮古高校が初優勝
決勝:宮古 5-4 那覇西 - 2月
- 第29回九州高校新人大会に、宮古高校出場
予選ブロック:宮古0-3佐賀北
〃1-1長崎日大
〃1-6東福岡 - 3月
- 上里琢文(宮高3年)が18歳以下日本代表候補に選出
- 10月
- 上里琢文、J1京都サンガと仮契約(翌年、加入)
- 平成22(2010)年1月
- 松川英世会長、沖縄県体育協会よりスポーツ功労で表彰
- 6月
- J2の横浜FC、宮古島で初キャンプ
- 平成23(2011)年1月
- 横浜FC、2度目の宮古島キャンプ
- 5月
- 4代目会長に、宮国敏弘氏就任(松川氏は顧問就任)
副会長:方肇靖・狩俣博幸、理事長:饒平名正 - 平成24(2012)年6月
- インターハイ県予選にて、宮古高校が準優勝
決勝戦/宮古0-1宜野湾 - 9月
- 協会エンブレム決定
- 11月
- 第91回全国高校サッカー選手権大会沖縄県予選において
宮古高校が、12年振り2度目の優勝を果たす
決勝戦/宮古1-0南風原 - 12月
- 30日ー第91回全国高校サッカー選手権大会開幕
〃31日ー選手権1回戦
宮古高校 1-5 前橋育英(群馬)
宮古得点者:砂川鉄信(1年)*久松中出身